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狙い撃ちスナイパー
f0204561_10384728.jpgどこから手に入れたのか
いかにも安っぽいプラスティックのおもちゃの鉄砲。

ペコンッ!ペコンッ!とあちこち銃乱射。

せっかくいいおもちゃを手にしている機会なので
みんなで集まってゲーム活動を企てる自分。


ゲームの要領はボトルの的当てゲームあるいはボール入れゲームと同じようなもの。
(過去記事:『ボトルで的当て』 『カゴの中にボール入れ』参照)

膨らませた風船を的にして
おもちゃの鉄砲でペコンッ!と狙い撃ちする射撃ゲーム。



f0204561_10392743.jpg風船に照準を定め狙いを定めて構える姿は
真剣でありながらやはり愛らしい。

ボクが一緒に構えて撃つのを手伝ってあげる
とふたり協力しながら狙い撃ちする姿もなお微笑ましい。
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by satoshi_0813 | 2010-12-11 22:23
携帯電話紛失
やってしまった・・・。


そのことに感づいたのは
活動先から自宅へ向かおうとしていたとき
携帯電話を目当てにバックパックを探っていたのだが
どこにも見つからない。

朝、活動先に向かう前に自宅で
確かに携帯電話をバックパックに入れた記憶はあったのだが。

妙にイヤな予感がカラダのあちこちで漂わせながら
それでも
自宅アパートの部屋にうっかり携帯電話を置きっぱなしにしてある
という微かな淡い期待をしながら。

が、しかし、

・・・ない。

イヤな予感はますます深まり
自分の携帯電話にかけてみる。

が、しかし
自分の耳に着信音は届かない。

それどころか
繋がらない。

いよいよ覚悟を決めた。
予感から確信に変わる。
携帯電話を紛失した。


f0204561_11030.jpg青年海外協力隊ボランティアは安全対策の一環として
在外事務所からそれぞれに携帯電話が貸与される。

その携帯電話を紛失したということで
即、担当ボランティア調整員に連絡して
携帯電話紛失時の取り扱いについて指示を仰ぐ。

その担当ボランティア調整員の適切な指示の下
まず携帯電話会社コールセンターに連絡をとり携帯電話を紛失した旨を伝え、
当該携帯電話番号のサービスを一時停止してもらう。


f0204561_1103878.jpg翌日、配属先に出向き、自分の携帯電話を紛失した旨を伝え、
その後、紛失した配属先を管轄とする警察署に出向き、携帯電話の紛失証明を受け取る。

配属先やら警察署をたらい回しにされて
およそ50キロの道のりを自転車でこぎ回った。

ヘロヘロに疲れたカラダに鞭を打ちつつ
市内に戻り携帯電話店舗にて
紛失した携帯電話と同じ電話番号のSIMカードを再発行。

さらに携帯電話販売店舗にて
貸与された携帯電話と同機種・同デザインの携帯電話を自費購入。

f0204561_1113368.jpg550バーツ(約1600円)。
出費よりも手間の方がかかった。

自分の携帯電話回復が回復したところで
担当ボランティア調整員に連絡を取る。
以後、気を付けます。


そもそも紛失か。
それとも盗難か。

紛失当日に関わらず
活動先では携帯電話を入れていたバックパックを放置して離れることがあり
活動先の職員および子どもたちなど誰の手にも触れる状態になることがある。

つまりはスキだらけであったわけで。

もし盗難ということであるなら
その人に魔が差す要因を作り出してしまった自分の至らなさを悔やむばかりである。
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by satoshi_0813 | 2010-12-10 22:56
箱づくり特別講座
f0204561_91721.jpg前回、食堂のおばちゃんに切り紙を教えていたとき
(過去記事:『切り紙特別講座』参照)

はさみで切りぬいた切り口のクズが散らないように
別の紙で折ってこしらえた箱にまとめていたら

「まぁ、すごい。」
と再び感嘆の声。

この折り箱のつくり方も教えてほしいとまた自分に尋ねる。

前回のことがあるので
今回も決して社交辞令でなく本気で教えてもらいたいのだと勘繰る。

f0204561_915358.jpg日を改めて
ボーっとしながら食後の歯みがきをしていると
食堂のテーブルに座して自分を待つ食堂のおばちゃん。

前回の切り紙同様に
食堂のテーブルで折り箱のつくり方を教える。

ふと
どこからともなく子どもたちも寄って来て
自分から何回か教わってマスターしている子どもたちが一緒に見守り
食堂のおばちゃんに折り箱づくり特別講座。


子どもたちや自分が折り方の手本をじっくり見ながら
ひと折りひと折り丁寧に折っていく食堂のおばちゃん。


f0204561_924914.jpg折り畳まれた紙をゆっくり開き
箱が姿を現すと

食堂のおばちゃんの出来上がりをよろこぶうれしそうな笑顔が
箱の中から飛び出したのでした。
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by satoshi_0813 | 2010-12-09 23:10
脚を失った椅子
f0204561_2334232.jpg食堂の食器洗い場の片隅に
ポツンと置かれた椅子。

よく見ると4本あった脚のうち
1本が折れて失われている。

1本の足を失いつつも
それでも健気に
誰かが座ってくれるのをじっと待っているように
威風堂々としっかり立ち尽くす。


そんな椅子の姿にふとココロが汗する。


この椅子はたとえ脚1本失いようとも
それでもなお自分に任務を全うしようとしている。

不平不満も何も語らず
やさぐれる素振りも見せず
ただ黙々と自分が役に立つ出番を待ち構えている。


さて、自分はどうだろうか。
と自分を顧みる。

この椅子の姿に見習うべきところが多分にありはしないか。


不平不満をこぼさず
やさぐれず、ふて腐れず
ただ自分のやるべきことをやってやろう。

やるべきことをやっていれば
いつか自分を本当に欠かせない存在だと理解してくれるだろう。

このボランティア活動においてだけでなく
これからの自分の人生においても
この姿勢は忘れてはならない。

むしろ実際
寡黙にコツコツ地道にがんばって
それを周りに少しずつ理解してもらうというのが
自分の性にぴったり合っているような気もしないわけではないが。

もっとも
自分の良さをもっと他所にひけらかしてもよいかもしれないが
遠慮屋さんなのであまり自分を語らないタチなもので。

それが自分。

はてさて
これが自分の人生で吉と出るか凶と出るか。
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by satoshi_0813 | 2010-12-08 23:32
切り紙特別講座
f0204561_024478.jpg子どもたちと切り紙の活動をしていたときに
(過去記事:『切り紙』参照)
そこを偶然通りかかった食堂のおばちゃん。

自分が子どもたちと何をしているのか興味を惹かれ
子どもたちがはさみで切り入れた切り紙の模様を見ると
「まぁ、キレイ。」と感嘆の声。

またあとで自分にも切り紙を教えてほしいと自分に尋ねるが
半ば社交辞令的なものだろうと受け取っていた自分。

が、しかし
食堂のおばちゃんは本気だった。


f0204561_0244798.jpgボーっとしながら食後の歯みがきをしていると
自前のはさみと紙を持ち出して
「それじゃぁ、さっそく。」
みたいな感じでテーブルに座ってスタンバイ。

慌てて歯みがきを済ませ
食堂のおばちゃんに切り紙の特別講座。

こちらのはさみの方がよく切れると思いますよ。
こちらの折り紙の方が出来上がりがキレイだと思いますよ。

そう言って自分のはさみと折り紙を渡すと
うれしそうな照れ笑いを見せる。


f0204561_0252716.jpg模様を象る切り口を書き入れるペンの軌道。
その切り口にはさみを入れ流す動作。

ぎこちなく映るけど
ひとつひとつがゆっくり丁寧にココロを込めているよう。

出来上がりの切り紙を開くと
やさしい食堂のおばちゃんの笑顔の華も開いたのでした。
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by satoshi_0813 | 2010-12-07 23:02
カレン首長族に会いに
f0204561_235886.jpgカレン首長族に会いに行く。


タイ北部ミャンマーとの国境近くの山岳地帯に
「首長族」と呼ばれる少数民族の村が点在。

カレン族の一部が女性の首を長くする風習があったため
「首長族」と呼ばれている。

チェンマイでも観光地化された民俗村のようなものがいくつかあり
お手頃な日帰りツアーで行ってみる。


カレン首長族の女性たち。

女性は金色の真鍮の首輪を巻くことで首の長さを強調。


f0204561_083943.jpgどうやらこの首輪は1本の真鍮をコイル状に巻いたもので
彼女たちは首の他に腕やひざにもこの輪を巻いている。

首輪を巻く風習の由縁には諸説あるらしいが
首輪をして首が長いほど美人という価値観のもと
女性たちは美を高めるために首輪をしている。

首輪は5歳くらいからつけ始め
少しずつ長い首輪になっていく。
そのため年齢を重ねた女性ほど首が長くなる。(つまり美人度が増す?)

それはそれとしても
このカレン首長族の女性たちは美女が多い。

美女が多い民族なのか
観光ウケのために美女を選りすぐっているのか。


f0204561_032175.jpgそういえば
男性はとんと見かけないがどこで何をしているのやら。



村に入るとすぐ売店がズラリと並び
首の長い女性達がお土産品を売る。

観光収入がこの村の主な収入源となっているのだろう。



f0204561_015435.jpg少数山岳民族のツアーの中でも
ひと際強烈なインパクトで観光客をひきつける存在であるだけに
そのあり方には「人間動物園」との揶揄・批判もある。

首長族の村は見せかけの村であり
本来はミャンマーに暮らす人々である。
彼らカレン首長族がここにいるのは
観光業者が観光用に「輸入」してきたから。

彼らがここにいるのは本意ではないのかもしれない。
今でもなお首にコイルを巻いているのは本意ではないのかもしれない。

これらの現実的理由は我々観光客から得る現金収入だとしたら。

しかし自分自身を観光的見せものにすることの他には
自分たちの生きる道を見出すことが難しい現状。


f0204561_0121566.jpgそういうこともあって
このカレン首長族の村に訪れるのには後ろめたさを持っていた。


しかし
ここまで来てしまったら変に意識するより単純で純粋な気持ちを持って

カレン首長族の女性たちの可憐な美しさに見惚れたり
自分もコイルに首をつけて彼女たちと一緒に写真に収まってみたり

といった
純粋な好奇心や屈托のないココロに任せた方が
潔くていいんだろうね。

f0204561_024176.jpgいやはや。
ついトコトン考えすぎちゃう自分。


うーむ。


ま、いっか。
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by satoshi_0813 | 2010-12-06 00:18
タイの父の日
f0204561_0215698.jpg12月5日はタイの父の日。

タイ国民が父と慕うプミポン現タイ国王の誕生日。
現国王は今年で83歳。

タイ国民は国王をタイ国民の父のような存在として敬愛。

街にはタイ国旗と国王のシンボルカラーである黄色を基調とした国王の旗がはためき
シンボルカラーの黄色が街を彩り
イルミネーションが灯り

そして
街のあちこちにプミポン現タイ国王の超特大の肖像画が

どどーん!

と立ち構える。


タイという国で国王がどのような存在であるのかがよく分かる。


子どもたちに訊かれたこと。
「日本にも父の日はあるの?」

日本で父の日といえば
6月の第3日曜日。

である一方
天皇誕生日としては
12月23日。

日本では「父の日=天皇誕生日」というわけではなく
ここの辺りがタイ人の子どもたちにうまく説明できなかった。

おそらく子どもたちが訊いた父の日としては
天皇誕生日にあたる12月23日の方になるのかな。


それほどタイ国民は国王を崇拝しているのだろうし
タイ国のことを愛しているのだろう。

タイ国歌が朝8時と夕方6時に流れるときに
それまでの動きを止めて直立、静聴して敬意を表すのが
まさにそれを象徴している光景である。


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by satoshi_0813 | 2010-12-05 06:13
日本語はムズカシイ
f0204561_23582792.jpg子どもたちに日本語を教えている。

すでにカンタンな日本語でのあいさつ程度はマスターしつつある子どもたち。

次には日本語の文字を書いてみたいという子どもたちの要望に応えるように
その場でササッとひらがな五十音表をこしらえてみる。

タイ語でそれぞれのひらがな文字の発音を対応させる。

タイ語は母音字と声調の組み合わせがやたら多く
発音が日本人にとってはムズカシイが

タイ語のアルファベット子音字「コー・カイ」は42字。
(過去記事:『コー・カイ』参照)

ちなみに英語のアルファベットはさらに少ない26字。

それに対して日本語の表記文字は
ひらがな、カタカナ、さらには漢字と
数えようと思ったら気が遠くなるほどの話。

日本語の文字の習得だけでもウンザリするほどなのに
さらに文法もややこしいときている。

例えば動詞の活用だけをとっても
「行く」「行った」「行かない」「行きます」「行けば」「行こう」「行け」みたいに
未然形、連用形、終止形、連体形、仮定形、命令形というようにいくつかの活用形があれば
さらに五段活用、上一段活用、下一段活用、下二段活用、カ行変格活用、サ行変格活用と活用の種類があったり

国語が苦手な自分には
「あー、ややこしいったらありゃしない」てわけで。



f0204561_091412.jpg母国話者である日本人の自分たちにしては
もちろんそのことに意識して気に留めることはめったにないが
他の言語と比べてみると明瞭に分かる。

おそらく日本語は世界のあらゆる言語の中でも
ズバ抜けてムズカシイ言語でなかろうかと。

さらに言うと
コトバを操る人類ってスゴイな。

それぞれの言語がそれぞれの異なるカタチで存在していることに
世界の広さと人類の多様性の深さを感じる。

あとは
外国語を習得することがいかに難しいかを痛感することで
母国語をごく当たり前に身につけていることが
どれだけスゴくて素晴らしいことなのかを感じることができるのではなかろうか。


即席でこしらえたひらがな五十音表をうれしそうに眺めて
さっそくその読み練習をしている子どもの前に向かって
ぼんやりそんなことを考えていた自分。
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by satoshi_0813 | 2010-12-04 22:49
今、何時?
f0204561_010100.jpg「今、何時?」

と自分に時刻を訊ねてくる子どもたち。


自分が把握できる限りでは
子どもたちの普段の活動範囲内で
施設内でまともに働いている時計は
食堂にあるひとつだけ。

あとは自分の左手首にある腕時計。

そうなると必然的に自分に時刻を訊ねてくるもの頷ける。
「何時何分だよ」と受け答える自分。


あまりにもしきりに時刻を訊ねてくるので
少々面倒になってくる自分。

あるとき
時計のある食堂でも自分に時刻を訊ねてきたことを思い起こす。

ん?
これは何かあるぞと勘ぐる。


いつものように自分に時刻を訊ねる子ども。

腕時計を示すがこちらから時刻は伝えずに
「今何時か分かる?」と試しに訊いてみる。

すると
「自分は時計が読めないんだ。」と困り顔を見せる。

なるほど。
ここの子どもたちの中には
当然のようにアナログ時計が読めない子がいるのだろうか。


子どもたちは時計がないから自分に時刻を訊ねてきたというよりは
時計が読めなくて自分に時刻を教えてもらっていたのだろう。


逆にこちらから腕時計を示しながら
子どもたちが時計の読み方を理解しているか調査。

すると予想以上に時計の読み方を理解していない子どもがいるという事実。
そして時計を読めないことが当然のようにあっさりしているのにも驚く。

そのことが分かるとさっそく子どもたちに時刻の読み方を教える。

短い針が時間を示して
長い針が分を示して
それぞれの目盛りが・・・云々と説明すると

要領のよい子どもであれば
たいてい5~10分ほどで時間の読み方を理解できる。


子どもたちの目の届くところに時計がないという
ハード面の環境要因もそうだろうが

子どもたちが時計の読み方を理解していないことを察知し
そして時計の読み方を教えてあげる存在がいなかったという
ソフト面の環境要因こそが

いつまでも子どもたちを
時計を知らない世界に閉じ込めていたのだろうか。


そしてそれから

自分から時計の読み方を教わってからも
自分を見つけては歩み寄って来て

「今、何時?」

と訊ねてくる子どもたち。

それは
時刻が分からなくて訊ねているというよりは
自分に教わった時計の読み方を復習して反復確認している。


同じ言葉「今、何時?」でも
その言葉の意味合いはこれまでと今とではまるで違う。
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by satoshi_0813 | 2010-12-03 23:16
役割
f0204561_1331781.jpg子どもたちがボトルで的当て活動をしているとき
(過去記事:『ボトルで的当て』参照)

得点を付けたり
順番を確認したりすることを
自分がしている姿を見せながら
少しずつ子どもたち自身で行うようにして
いずれは自分がいなくても子どもたちだけで遊ぶことができることを目指す。

今回自分が得点や順番をマネジメントしようと思ったとき
ひとりの子どもがトントンと自分の肩をたたき
「ボクがみんなの順番を読みあげてあげる」と申し出る。

順番どおりに名前を書いた紙を受け取り
実によく通る大きな声でスムーズに呼びあげ
またそれぞれの得点をチェックしてくれる。

「ありがとう。
 君のおかげで活動がよりよいものになったよ。」

と撮った写真を見せながら褒めると
うれしそうに自分の雄姿を目に入れてはにかむ。


自分に何かすべき役割があると
子どもたちはいきいきと輝きを増す。

役割が与えられることで
自分にはここでやることがあると感じ
自分の精神的な居場所が確保されるから。

自分が望んだ役割であれば
なおさらそのキモチは強いものだろう。


そして役割を任せられること。

任せられることは信頼の証。
誰かから信用され頼りにされると感じることが
自己肯定感や自立心を使っていくことにどれほどの強みになるだろうか。

だからこそ
子どもたちに必要なものであるだろうし
子どもたちが望んでいるものあるだろう。


任せるといっても
ほったらかしの放任や押しつけ的なおまかせではなく

見ているようで見ていない
見えないようで見ているような絶妙な距離感で
きちんとできているか責任を持って見守る。

子どもたちが任せた役割をきちんとできることを期待しつつ見守る。
(参考記事:『見守る存在』参照)


そういう思いに立って自分の活動のときには
子どもたちができる役割を考えてどんどん任せていこう。
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by satoshi_0813 | 2010-12-02 23:30