配属先の土壇場の変容
f0204561_2535241.jpg自分の活動期間もいよいよ残りわずかになった。

今から取り立てて新しいことに取り組むわけでもなく
これまでといつも通りの自分と
ちょっと別れを意識し始めた子どもたち。


自分の任期残りわずかという駆け込み的な気持ちからか
いくらか配属先職員にも変容が見られるようになった。

例えば
バスケットコートの整備。
(過去記事:『バスケットコートの息吹』参照)

これには自分のココロを動かされた。

自分のバスケットボールの活動が報われたというものか。


また例えば
子どもたちの夕食のとき
配属先職員も一緒にゴハンを食べるようになった。

これは自分がこの配属先に赴任して以来、毎日続けていた姿勢。
(過去記事:『同じ釜の飯を食う』参照)

子どもたちがゴハンを食べる場というのは
施設の子どもたちが一同に集まる貴重な機会。

そんな場だからこそ見える子どもたち相互の人間関係を観察する機会でもあるし
ゴハンというものを介して自分と子どもたちとごく気軽に自然にコミュニケーションを図れる機会でもある。

そんな子どもたちを見るという点では絶好の場。

その場に配属先職員も一緒になってゴハンを食べる。

一緒になってゴハンを食べるといっても
子どもたちとは別の配膳鍋、子どもたちからちょっと離れた別のテーブルでの食事。

だがそれでも
タイ文化としてのオトナとコドモの圧倒的な上下関係の在り方や
赴任当初の配属先職員の子どもたちへの在り方を考えると
だいぶ前進。

配属先施設長あるいは副施設長は
子どもたちの名前を知らないという子もいたくらいの現状だったから。

いきなり多くを求めるのは酷。
ちょっとだけでも好ましい変容が見られただけでもありがたく感じよう。


さらに例えば
新しく人事異動か何かでこの配属先に着任することになった写真の彼女。

週末は子どもたちにレク活動を行うことがあったり
まるで自分の後釜のように配置されたような人。

向こうから自分にワイ(タイ式のお辞儀)をしてくれる配属先で唯一の人。

自分が毎日子どもたちにどのような活動をしているのか
また
先日のJICAボランティア隊員総会で行われた
自分の活動報告発表でどのようなことを発表したのか

自分の活動あるいは子どもたちへの活動に興味を持つ存在が現れた。


子どもたちとの接し方も積極的に子どもたちと関わろうとする姿勢が見られ
特に叱り方において
子どもたちを叱るときに子どもたちをじっと見つめる「まなざし」と
子どもたちが自分自身について省みて返答をするためにじっくり沈黙の間のある「待つ」姿勢
というものを見て
この人なら大丈夫となんだかうれしくなった。

彼女のような人がカウンターパートであれば
自分のボランティア活動も変わったものになっただろうにと
少しばかり自分が赴任して来るのが早かったのかと思いつつ
自分が赴任して来なければ彼女は今着任されなかったのかもとも思いつつ。

とにかく彼女の存在に
これからの活動先施設の一筋の光明を期待させる。


自分が活動任期を終えようとしている土壇場になって
ようやく活動先の好ましい変容が見られてきた。


まったく、ようやくだよ。
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by satoshi_0813 | 2011-03-03 23:29


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