「豊かさ」とは何か、「貧しさ」とは何か。
派遣された国を豊かにすることを特命とされ
その最前線に立ち向かってボランティア活動をする自分たち青年海外協力隊。

派遣国、職種、要請内容、あるいはボランティア活動を行う本人による違いによって
それぞれのボランティア活動の在り方やアプローチが異なってくるであろうが


  派遣国を『豊か』にする


というとてつもなく大きい目的を共通項として持ち合わせているはず。

であるので
その「豊かさ」とは何か。
あるいはその対極のものとして「貧しさ」とは何か。

について常日頃から考えながら日々のボランティア活動に取り組み
自分のボランティア活動の在り方や自分自身について検証を重ねることが大切。

そしてそういった反芻作業によって
自分が行うボランティア活動の意義を見出し
自分自身が派遣されてここで活動している存在意義を確認することにもつながる。

では青年海外協力隊の共通項としての大きな目的のキーワードでもある
「豊かさ」とは何か?あるいはその対極としての「貧しさ」とは何か?

その「豊かさ」の本質を見極めることで(もちろん教えられた知識でなく、自分で発見することで)
青年海外協力隊として派遣された意義
自分が任地でボランティア活動をしている意義
というものの本質も明らかになってくるのではないだろうか。

このような考えを持って日頃から「豊かさ」についてとことん突き詰めることは
青年海外協力隊としての「特権」でもあり「義務」でもある。

派遣期間中、考えるだけの時間は十分にあるはずだ。
考える努力を怠ってはいけない。

少なくとも自分は青年海外協力隊として派遣されたときから
ずーっとアタマの片隅に置いて考えながらボランティア活動の日々を過ごしてきた。


さて
「豊かさとは何か。」
という自分に課したものに対して自分が導き出した答え。


自分が考える「豊かさ」基準となりうるキーワードは

  『選択肢』

つまり自分が考える「豊かさ」「貧しさ」の基準となるのは
「選択肢」の多さにあると考えてきた。


具体的に例を挙げて説明してみる。


例えば「カネ」。
「豊かさ」を考えるのに
正直「カネ」を棚上げすることはできないだろう。

「カネ」がたくさんあれば
それだけ買うことができるものの「選択肢」は増える。

よって「豊かさ」に基準になる。

もちろん
「カネ」は選択肢が増える「豊かさ」のための手段であって
「カネ」そのものが「豊かさ」のための目的ではないことは
注釈しておかなければならないだろう。

他にもたくさん人生の様々な場面で
この「選択肢」というものが出てくる。


例えば「学習」や「就職」において。

一般に学力考査で入学選抜が行われるにおいては
学力が高ければそれだけ選べる進路の数も増えてくる。
学歴によって選択できる就職先の数も変わるだろう。

自分の進路あるいは生計を立てるための職業を選択すること、
かつ、その選択肢が多いことが豊かさにつながる。

学生のころに学業に精進するのは進学や就職するときの選択肢を増やすための
自らの豊かさを求める努力であるという教育的な考え方もできる。

あるいはタイでは路上で物乞いを見かけることがある。
彼らはもちろん経済的に「貧しい」が
生計を立てるための手段がそういった形で「しかない」というように
選択肢がなくなってしまっていることが「貧しい」という考えができる。


例えば「恋愛」や「結婚」において。

自分の一生を共にして添い遂げるその相手。
それが自分で選べないとしたら。
たくさんいる中で出逢ったからこそ
運命的なものを感じるのではないだろうか。
それが豊かさにつながるのではなかろうか。

余談かもしれないが
モテたい!と思うのは
選択肢を増やすという豊かさを求めての本能的思考
という考え方をするのもおもしろいだろう。


例えば「時間」において。

「時間」があればその時間内にできることが増える。選択肢が増える。
また時間にゆとりがあることで
「今は何もしなくてゆっくりしよう」という「しない」という選択肢もできる。
こういった「選択肢」が多くあるからこそ
時間的に余裕があることがココロの余裕にもつながり
しいては「豊かさ」にもつながるものになるではないだろうか。


例えば「健康」において。

病気になってしまうとなにかと制約が発生する。
つまり行動の「選択肢」が狭められることを意味する。
寝たきりになってしまえば動くことは困難だし
行動範囲・行動選択もぐんと限られたものになってしまう。

「健康」であることはすなわち行動の「選択肢」を維持・増加させるための条件でもある。


また
逆の場合から考える。
つまり
人間にとって「貧しいこと」(あるいは不幸なこと)は何なのか。

それは、自ら生を断つ「自殺」こそ
最も不幸なことであると考える。

自殺はつまり
死ぬ「しかない」と他に「選択肢」がない状況に追い込まれていること。
それしか「選択肢」が「全くない」。
だから「貧しい」「不幸な」ことである。



もう少し「豊かさ」の基準としての『選択肢の多さ』というものを考えてみる。

東野圭吾著『時生』にある一節を思い起こす。

「・・・そら誰でも恵まれた家庭に生まれたいけど、自分では親は選ばれへん。
配られたカードで精一杯勝負するしかないやろ。
・・・たしかにあんたもかわいそうやと思うよ。
けど、あんたに配られたカードは、そう悪い手やないと思うけどな。」


貧しさゆえに母に捨てられたと思って育ってきた
自分の生まれた境遇にやさぐれる主人公・拓実の言葉。

この著作のこの場面を読んだとき
ここで言う「カード」は自分の言うところの「選択肢」を表しているように感じた。


人間は生まれながらに持ち合わせる「選択肢」の多さは違うのかもしれない。

日本で生まれた自分たちと
チェンマイで貧しい家庭で育ってきた活動先施設に入所している子どもたちと
生きていく上でのさまざまな「選択肢」の多さには差はあるだろう。

そういう意味では人間は不平等なのかもしれない。

だが、しかしである。

それぞれが可能性として秘めている「選択肢」は
自分の力で増やすことが可能である。

ここが大事!

自分自身の努力によって
選択肢を増やすことが可能であるのに

自分自身を過小評価してしまったり境遇にやさぐれてしまったりして
あきらめたり、頑張らなかったり、挑戦しなかったり。

自ら「選択肢」を増やすことを放棄している。

小説「時生」の主人公の姿が
活動先入所施設の子どもたちの姿とモロにかぶる。


「豊かさ」つまり「選択肢(の多さ)」は
誰かから与えられるものではない。

決して楽して手に入るものでもないが
だが自分自身の努力によって増やしていけるものである。

それぞれカード、つまり持ち合わせている「選択肢」の多さはちがうが
大事なことはそこから選択肢を増やすために努力すること、努力し続けること。

だからこそ
子どもたちには自らの豊かな生活のために
自分の力で自分の選択肢を切り拓くために
自らの力で自らを高めようと成長しようとするチカラ
すなわち「自己成長力」をつけていくことが大切。

その自己成長力を育むために
成功体験、達成感、意欲、自信、自己肯定感、自尊感情
といったものを育むように手だてが必要なのである。

そのために自分のボランティア活動がある!
だからそのために自分はここにいる!

そう信じる。


「豊かさ」という考えについて常日頃から反芻していき
自分が考えた「豊かさ」の基準に「選択肢の多さ」があるという考えをもとに
自分の青年海外協力隊としてのボランティア活動の在り方について検証していった。

「豊かさ」について自分の考え方がスッキリすると
「派遣国を豊かにする」という大きな目的の元に自分が行ってきたボランティア活動の在り方や
ボランティア活動を行ってきた自分の在り方や存在意義というものが
1つの筋が通ったものとしてより明確に自分の中で納まりのよいものに落ち着く。


以上。
これが自分の「豊かさ」「貧しさ」について考えた答え。
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by satoshi_0813 | 2011-01-31 23:21


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