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苦言を呈する
久しぶりにオトナ相手に苦言を呈する機会があった。

何度か堪えてきたが
ついつい口から漏れてしまった。


叱ることはほめることよりも難しい。
(過去記事:『叱る!』参照)

それがオトナ相手ならなおさら。

個人的には人に苦言を呈することは
できればしたくないものだ。

また、おそらくどことなくそれを避けてきただろう自分。


人はたいてい「ほめて伸びる」タイプの中で
叱って伸ばすのはホントにムズかしい。

誰だってほめられたい。

叱られるのは好きではない。


叱られるのもイヤだが
叱るのだってイヤ。


注意する、指摘するということは
ほめ言葉を言うよりも何倍もの莫大なエネルギーを要するし

その人のためによかれと思って意見しても
苦言を呈することで
 「なんだ、コイツ」
 「あー、うぜえな」
と嫌悪感を持たれたり煙たがられたりするのは本意ではないし

ならばいっそのこと
自分を守るためにも苦言を言わない方が楽。


とりわけ
人の意見には耳を貸さないようなタイプに対して
この人は自分が何を言っても真摯に受け止められる態度を持っていないなと見切ってしまうと
「なら、いいか」とこちらから何も言わないようにしておこうとあきらめることもある。

苦言を呈することをあきらめているということは
その人に対する期待をあきらめていることに等しいだろう。

実際自分も
この人には何を言ってもムダだと見切って
あえて苦言を呈することを避けて
グッと自分の腹で消化しようと努めていたのだろう。



かつて(・・・いや、おそらく今でも)
自分はけっこう叱られてきたように記憶する。

大人になって叱られるのは
たしかにかなり堪える。

たまには腑に落ちないこともある。
自尊心を傷付けられそうになることもある。

でも
ある飲み会で酔った勢いで言われたコトバ。

 「お前は叱り甲斐がある。」


おそらくこれは
最大級の賛辞のひとつになるのではなかろうか。


確かにまだ至らないところはあっただろうが
人からの意見や助言を素直に聞き入れ
軌道修正する資質を持っている。

コイツはもっとよくなると期待して叱ってくれていたのだろう。

今思えばこそ
いろいろな人が自分を思って叱ってくれたことに感謝。
by satoshi_0813 | 2011-01-28 23:35


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