負けを認める
f0204561_23231837.jpg子どもたちとボール遊び「はさみ」をする。
(過去記事:『ボール遊び「はさみ」』参照)

一生懸命に取り組む子どもたち。

しかし一生懸命だから故にこそ
自分たちがボールをぶつけられてしまい
プレーから退くことになったとき

ついカッとなって感情いっぱいに溢れてしまい
くやしい気持ちとかやるせない気持ちを
他にぶつけて当たり散らすことがよくある。

ストレートな感情表現で
子どもらしくていいと思う。

でも
これからの社会性を考えていくとなると
ここをひとつ乗り越えて成長をしていく必要もあるだろう。


いつも自分の思い通りに事がうまく運ぶわけでなく
むしろ
自分の思い通りに事が運ばない場合の方が人生には多い。

まったくだ。

そのときに
どのように自分と折り合いを付けるか。


感情の赴くままに行動してきた子どもたちにとっては
こうしたボール遊びも乗り越えるべき鍛錬の場である。

そう考える自分は
ボールをぶつけられて退いた子どもたちを
自分のところへ呼び付けて来るように仕向ける。

負けた子どもたちに対して
握手で健闘を微笑んでねぎらう。

負けた直後のイライラでストレス飽和状態の子どもたちも
自分との握手で緊迫した感情がフッと抜ける。

鼻息荒かった子どもたちが一瞬にして穏やかな表情になる。

自分でもその効果に驚く。


誰だって負けたくない。
うまくいきたいと思って頑張っているならなおさら。

一生懸命頑張った。
精一杯努力した。
全力を尽くした。

でもうまくいかなかった。

そのときにどのように自分のストレスを処理していくのか。


うまくできなかったときの行動こそ
その人の真価が問われる成長の場。


負けを認めたくないが
その事実を認めること
できない自分も受け入れることが
ストレスをうまくコントロールして
もうひと回り成長した子どもたちの姿につながっていく。



今では自分に心の処方箋を受けるべく
握手を求めて手を差し伸べてくる。
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by satoshi_0813 | 2011-01-14 23:20


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